当時世界一清潔な町「江戸」のリサイクル法

f:id:itomaxyz:20200928212516j:plain 昔は、大きな都市から大量に供給されるし尿が、近郊の農家にとっての貴重な肥料資源でした。

このし尿を畑に利用した農家は、都市に新鮮な野菜を供給していたため、立派な ” リサイクル ” が完成していたわけです。

江戸時代には、この下肥を集めるための肥桶が発明され、人口100万都市の江戸の町へは下肥を買う農民が、今の千葉や埼玉から荷車に肥桶と野菜を山のように積んで出かけていきました。

江戸の下肥に関する資料によると、畑から収穫したダイコンの売り上げのうち、40%近い額が肥料代として使われていました。

このため、江戸の町がし尿に汚されることはなく、むしろ、お宝として貴重な町の収入源となっていました。

落語でおなじみのハっつぁん・熊さんの住む長屋の共同雪隠(便所)は、大家さんの大事な稼ぎ場所でもありました。

店子を相手に風流話をしながらも、雪隠はよそで使わず帰ってからするようにと注意していたのも、このためです。

このようなシステムは戦後まで続き、物資不足に悩まされていた家々では、し尿と引き換えに立派に太ったダイコンを汲み取り代としていただいていたのです。