歴史の雑学
日本が世界で最も長寿の国であることはよく知られていますが、実はこの「長寿の国」の座はいつまでも安泰ではない、ということを知っていますか。
アイスクリームは洋菓子の一種だし、最初につくられたのはヨーロッパなのでは、と考えがちですが、これがなんと中国なのです。 五世紀の中国では、樟脳(クスノキからとれる精油成分)で香りづけした米と牛乳でつくった氷菓が、皇帝のための特別なデザートで…
箸は中国から伝わったもので、日本で一般的に使われるようになったのは八世紀、奈良時代からです。 それまでの日本人の食事作法はというと、柏とか椎の葉などに盛ったものを手づかみで食べていたといいます。 実は箸が普及した背景には、聖徳太子の苦労が隠…
世界中で多くの人に親しまれているビール。 でも、意外なほど古くから飲まれていることは、あまり知られていません。 紀元前3000年ころにはもう、メソポタミアに世界最古の都市国家をつくったシュメール人が、麦の種類によって4種類のビールをつくり分けて…
世界最古の法律というと、バビロニアのハンムラビ王がつくったハンムラビ法典。 ここには、ビールを水で薄めると溺死刑にすると定められているそうです。
フォークが食卓に登場するのは意外に最近のことで、17世紀に入ってからです。 箸のほうは3000年もの歴史を持つというのに、あんな単純な道具が出てくるまでに、これほど時間がかかるとは驚きです。
古代ギリシャ人は現代人と同じく、食物と健康の関係に大いに関心を持っていました。 もてなしの献立も、食道楽というよりは、健康に重点を置いて立てられています。
江戸時代には、すでに一般家庭でも石鹸を使って、たらいで手を洗っていました。 でもこの石鹸、あくを小麦粉で固めたもので、まんじゅうをふくらますのに用いるとありますから、現在の石鹸とはちょっと違うようです。
”醍醐味”という言葉がありますが、この「醍醐」とは牛乳を煮詰めて一晩寝かせたものから「蘇」というものをつくり、さらにこれを煮詰めてクリーム状にしてもう一晩ねかせたもののことだそうです。
風呂の語源は「室(むろ)」で、もともと岩屋(岩壁に掘った穴)での蒸し風呂を指していました。 一定料金を取って入浴させる銭湯も、江戸時代のはじめは蒸し風呂でした。
平安時代の人はめったに風呂に入らなかったので、におい消しのために香をたきしめていといいます。 垢で黒光りしている光源氏なんて、100年の恋もいっぺんに覚めそうですが、それでもたまには風呂に入っていたようです。
今から4500年前、日本では縄文時代にあたる頃。 その時代に、インダス川流域に栄えていたモヘンジョ・ダロやハラッパーといった都市には、すでに下水道が完備されていたというから驚きです。
「バイオから生まれた酵素洗剤」などと聞くと、酵素で汚れを落とすのはつい最近の発明のように思えてしまいますが、実際は1000年も前から行われていたようです。
古代エジプトでは、大勢の客を呼んでもてなすときは、食事の終わり頃に、何と本物そっくりのミイラの模型と棺を、会食者の間をぬうようにまわしたそうです。
避妊などという発想は最近のものだろうと思っていたら、とんだ大間違い。 何と、古代エジプトですでに、膣内避妊薬が用いられていたのです。
今でこそ、化石が大昔の生物の痕跡であることは常識ですが、それが理解されるようになったのは、何と18世紀に入ってからのこと。 それ以前は、化石は神秘なものの手によってつくられた、と考えられていたのです。 そのため、現在から見ると笑い話のような、…
今では、楊枝というとつま楊枝のことを指しますが、もともとは歯を磨く歯ブラシのようなものでした。 楊柳(ヤナギ)の先をつぶして細い繊維状にしたものなので、楊枝といったのです。
なにげなく使っている言葉にも、ドラマチックなエピソードがあるものです。 結局、元の惨めな状態に戻ってしまうことを「元の木阿弥」といいますが、この木阿弥というのは人のなまえなのです。
歌舞伎に詳しい人なら、市川団十郎は成田屋、尾上菊五郎なら音羽屋、中村歌右衛門なら成駒屋、中村勘三郎なら中村屋、市川猿之助なら澤瀉屋というように、役者の名を言わず屋号で呼びます、
アメリカのある小説には、「しょうゆは放射能に効く」といって売りつけるセールスマンが出てくるものがあります。
第二次世界大戦の末期、日本は、紙をコンニャク糊で貼り合わせた水素気球を風船爆弾としてアメリカ本土に向けて飛ばしました。
生ものはどんなものでも新鮮なほうがおいしいと考えられがちですが、肉の場合、牛でも豚でも鶏でも、実は腐る寸前の方が美味しいのです。
入れ歯の歴史は古く、それぞれの時代で、さまざまな工夫がこらされてきました。 紀元前700年には、エトルリア(現在の北部イタリアにあった国)の人々によって金のブリッジによる局部義歯が作られていました。
ナポレオンの肖像画には、右手をチョッキの下に入れる独特のポーズを取っているものがあります。 肖像画で、ほかにそういうポーズをしている人はなかなかな見かけません。 なぜ彼だけは、チョッキの下に手を入れているのでしょう。
カメラ用のカラーフィルムは、1935年にイーストマン・コダック社から、コダカラ―という名で発売されました。 でも、カラーフィルムを発明した人に関しては、あまり知られていません。
「お化粧を落とすと、女の顔って信じられないくらい違っちゃうの」 クレイグ・ライスの「死体は散歩する」という小説の一節です。 化粧とは文字通り「化ける」という一面を持っています。 メイクアップの中でも、とりわけ化ける可能性が大きいのがアイメイク…
日本で生涯に一度でも、アメリカの大統領に会えるという人はそれほどたくさんいないと思います。 日本の総理大臣でさえ、米大統領に会うと、それをお手柄にしたりします。 ところが、江戸時代の末期に米大統領と謁見した日本人がいました。 しかも1人だけで…
この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思えば 寛仁2年(1018年)にこのように栄華の極みを歌った左大臣藤原道長は、「源氏物語」の主人公「光源氏」のモデルともされる人物です。 ところが、この和歌を詠んだ翌年の「御堂関白記」に、糖尿病性…
江戸幕府初代将軍の徳川家康は享年74。 織田信長が「人間五十年」と謡っていた時代ですから、たいへん長生きだったといえます。 同時代に活躍した武田信玄や上杉謙信、前田利家ら多くのライバルたちは50歳代から60歳代で死亡しました。 さらに家康は16人もの…
大学の研究室で博士の学位を取得した大学院生が、担当教授などに「謝礼」を払っていたいう話は珍しくありません。 場合によっては教授のほうから「博士号を取りたかったら何万円かを持ってきなさい」と請求することもあったそうです。 学生にとっては、自分…