マラソンの42.195キロメートルはイギリス王女までの距離
陸上競技の花形・マラソンは、古代ギリシャのマラトンの戦いの故事によるものであると知られています。
戦場のマラトンの丘から、伝令のフェイディビデスが戦いの勝利を伝えるためにアテナイの城門まで走り続け、伝え終えると力尽きて絶命してしまった、その美談をたたえて競技に取り入れられたものです。
だから42.195キロメートルというコース距離も、そのときのフェイディビデスが走った距離であると一般的に信じられているようです。
しかし、実はそうではありません。
1920年の第七回オリンピックまでは、コースの距離は40キロメートル前後であればよく、一定していなかったのです。
それが正式に定められたのは、1924年の第八回パリ・オリンピックからでした。
その基準にされたのは、1908年のロンドン・オリンピックのコースで、ウインザー宮殿からシェファード・ブッシュ競技場のゴールまでの距離が、ちょうど42.195キロメートルだったのです。
面白いのは、0.195キロメートルという端数の由来。
普通なら整数にするところでしょうが、時のイギリス王女・アレキサンドラの席の真正面までゴールをずらした、その結果だというのです。
それをそのまま取り入れて正式なコース距離にしたのは「こんな半端もあっていいだろう」という、イギリス人のユーモア精神だったのでしょうか。