キセルをしてメダルを剥奪されたマラソン選手がいる?

オリンピックでは、過去にドーピングによってメダルが剥奪された例が数多あります。

しかし近代オリンピックの草創期には、とんでもない不正でメダル剥奪(正確には失格)という事件が起きていました。

それは、1924年、第3回オリンピックのセントルイス大会のマラソンでの出来事です。

 

競技当日は気温摂氏32度と、最悪のコンディションでした。

優勝候補だったアメリカのフレッド・ローツは、先頭で競技場を飛び出しましたが、スタートから15キロメートルのところで、脱水症状と足のけいれんで倒れてしまいました。

そこへ偶然通りかかったクルマに救助してもらい、競技場へと向かいました。

しかし、あと8キロメートルというところで、クルマがエンスト。

そこで体調が回復していたローツは再び走り始め、なんとゴールテープを切ったのです。

 

「優勝、金メダルだ!」と思ったところへ、クルマに乗せてくれた男が競技場にやってきて、不正を告発。

あえなくローツは失格となりました。

これがオリンピック史上有名な「キセルラソン」です。

ちなみに繰り上げ優勝となったトーマス・ヒックは、興奮剤入りのブランデーを飲んで走っていましたが、まだドーピングルールが確立していなかったので、失格を免れたといいます。

 

ローツは試合出場停止処分が下されましたが、悪意はなかったとして処分を解かれ、翌年のボストンマラソンで見事に優勝を飾り、汚名を返上しています。

 

1968年のメキシコオリンピックでのメダル剥奪騒動については、覚えている人も多いでしょう。

陸上男子200メートル競争において19秒83の世界記録で優勝したアメリカ人選手のトミー・スミスと、20秒10で3位につけたアメリカ人のジョン・カーロスは、アメリカ国家が演奏され星条旗が掲揚されている間中、頭を垂れたまま握り拳を突き上げるというパフォーマンスを行いました。

 

アメリカ国内での人種差別への抗議のためだったとされています。

当時のIOCのブランデージ会長は、オリンピックの場で内政問題に関する政治的パフォーマンスをすることは好ましくないとして、2人をオリンピック村から追放し、メダル剥奪を命じました。

 

オリンピックで自分の国の国旗に表敬しない行為はタブーなのです。

表彰式のときにおしゃべりをしていただけで、メダルを剥奪された選手がいたという噂もあります。

[surfing_su_box_ex title="IOC"](International Olympic Committee国際オリンピック委員会。近代オリンピックを主催する団体で、オリンピックに参加する各種国際スポーツ統括団体を統括する組織。開催地の決定も担う。本部はスイス・ローザンヌ。放映権料販売とスポンサー収入で運営資金を賄っている。[/surfing_su_box_ex]

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