優美なイメージとはかけ離れている香水の歴史

風呂を英語でバスといいますが、この言語はイングランド南西部にあるバスという都市の名前に由来するのだそうです。

現在でも温泉地として知られていますが、その歴史は古く、古代ローマ帝国が進出してきたときに大公衆浴場がつくられ、それを町の名前で呼んでいたのが、いつの間にか浴場そのものを表すようになったといいます。

古代ローマ人は非常に風呂好きだったため、彼らが侵略した土地には、必ずといっていいのほど公衆浴場がつくられています。

ところで、この浴場ですが、どうも香水の発達と関係があるようなのです。

ローマ帝国が各地につくった公衆浴場は、帝国衰退後も地元の人たちに愛用されていましたが、これがパタッと閉鎖されてしまう大事件が起こります。

16世紀、中世ヨーロッパを襲った伝染病の大流行です。

「この病気は風呂でうつる」という風説がまたたく間に広がり、伝染病を恐れた君主たちの命令で、ことごとく閉鎖されたり、破壊されたりしたのです。

その体験はよほど強烈だったのでしょう。

「風呂は伝染病がうつる」という概念がこびりつき、それ以降19世紀に至るまでの300年もの間、ヨーロッパ人はずっと入浴しないでいたというのです。

それがどういう事態を招くか、もうおわかりでしょう。

当時のヨーロッパの人たちは、貴族から庶民まで、ありとあらゆる人が強烈な悪臭を放ち、たとえば、フランスのアンリ4世については、その愛人が「腐った肉のようなにおいがする」と言ったという話も伝わっているそうです。

それに加え、当時はトイレで用を足すという習慣がなく、男女とも庭の隅かどこかで立ったまますませていたともいわれます。

宮殿でも同様で、女性がどうしてあの釣鐘のような形をしたスカートをはいていたかというと。そのままの姿勢で誰の目をはばかることなく用を足せたからだ、という説まであります。

このように誰でもプンプンとにおっているのでは、誰だってやりきれません。

そこで、何とかこのにおいをごまかそうと香水が考え出され、急激に発達したのです。

コーラの開発者は薬剤師

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