江戸時代の銭湯はサウナそのもの!?
風呂の語源は「室(むろ)」で、もともと岩屋(岩壁に掘った穴)での蒸し風呂を指していました。
一定料金を取って入浴させる銭湯も、江戸時代のはじめは蒸し風呂でした。
今のように首までつかる風呂になったのは、江戸時代も後期になってからです。
では、どのように蒸したのでしょう。
これには二通りの方法がありました。
一つは、外の釜でお湯を沸かし、樋を伝わせて浴室に湯気を引き込む方法。
もう一つは、浴室に簀の子を敷き、簀の子の下の水を直接温めて湯気を出す方法です。
湯気で皮膚の表面をふやかして垢を浮き立たせ、よくしなうヤナギのような枝でたたいて、垢を落としていました。
江戸時代には、風呂屋はなかなか繁盛していたようです。
内風呂はかなり高くついて割に合わなかったことと、火事の原因になる恐れがあったことなどから、どんな豪商でも銭湯を利用していました。
当時の風呂屋は。弓と、力いっぱい引いた矢を組合わせたものを看板にしていました。
「弓射る(ゆみいる)」を「湯に入る(ゆにいる)」とかけた江戸っ子のしゃれだったようです。