アリストテレスの「化石スキャンダル」
今でこそ、化石が大昔の生物の痕跡であることは常識ですが、それが理解されるようになったのは、何と18世紀に入ってからのこと。
それ以前は、化石は神秘なものの手によってつくられた、と考えられていたのです。
そのため、現在から見ると笑い話のような、こんな事件が起こりました。
18世紀のはじめの頃です。
ドイツのビュルッツブルグ大学にベリンガーという教授がいました。
医学を教えていたのですが、この人の趣味が化石の収集だったのです。
それも、ただ買い集めるだけでなく、自分でも付近の山に採集に行くほどの熱心さでした。
これを見て、要職を兼務していたベリンガー教授への妬みからでしょうか、フォン・エックハルト図書館長とローデリック教授の二人が、「にせの化石をつくってだましてやろう」とたくらんだのです。
そして三人の青年に助力を求め、せっせとにせものをつくると、それを近くの石切り場にばらまき、青年の一人に一つを持たせて「こんな珍しい化石が見つかりました」とベリンガー教授に知らせにやったのです。
さっそくその石切り場に出かけた教授にとっては、感動の連続でした。
次々に珍しい化石が発見されるのですから無理もありません。
こうして、何日も教授の採集活動は続き、その数2000以上に及んだといいます。
面白いのが、その化石の内容です。
実にさまざまで、中には、怪獣の化石や輝く太陽の化石、ヘブライ語の文字の化石まであったそうです。
なにせ「化石は神秘なるものの手でつくられたもの」と信じ込んでいる教授です。
このヘブライ文字の化石を見つけたのがよほど自慢だったようで、それまでに採集した化石の記録をまとめ、著書にして出版したのです。
その後も採集は続けられましたが、ある日、かる化石を見つけたとき、彼は顔面蒼白になり、今にも卒倒しそうなほど大きなショックを受けます。
何とその化石は、彼の名前の化石だったのです。
その後の彼の狼狽ぶりは想像にお任せするとして、大学教授ともあろう人たちがこんな事件を起こしたことのほうが、むしろ信じられません。
しかし「化石が神秘な力でつくられたものだ」と言い始めた人が、ギリシャの大哲学者アリストテレスであったといえば、うなずけるではありませんか。
人間がいかに権威というものに弱いか、という教訓です。
ところで、化石の真の意味に気づいていた人がいなかったわけではありません。
レオナルド・ダ・ヴィンチもその一人でした。
しかし、彼はキリスト教の弾圧を恐れ、そのメモを公開せずにいたのです。