グラバー邸の隠し部屋に伊藤博文らがかくまわれていた?
長崎に行った人なら、一度は日本最古の洋館「グラバー邸」を訪れたことがあるのでは。
この洋館を長崎に建てたのは、英国商人トーマス・ブレーク・グラバーです。
幕府が鎖国を解いた直後の文久元年(1861年)に23歳の若さで「グラバー商会」を設立し、貿易商として活動を始めた当人物です。
小菅修船場の開設などで、親交を深めた薩摩藩士、五代友厚の計らいで日本人ツルと結婚、流暢な日本語を話したとされています。
グラバーは日本の乱動期を見越して、条約違反である武器商人となりました。
薩摩、長州、土佐などの倒幕派各藩に武器を売りつける一方、敵対する佐幕派各藩にも武器を売りつけます。
あの坂本龍馬もグラバーのお客になって、いまの貨幣価値にして169億円(日本銀行高知支店調べ)の銃器を買い付けています。
グラバーは、さらに倒幕派各藩や若い志士たちの後ろ盾という政商の姿を見せ始めます。
その策略の一つとして行ったのが、グラバー邸の廊下天井裏にある2つの隠し部屋でした。
これは何のための小部屋だったのでしょうか?
グラバーは、鎖国は解かれても外国への出国が禁止されているという時代の中で、若い志士たちに世界の実情を見聞きさせるため、密航の手助けをしていたとされます。
密航者の中には1863年に英国へ密航し、後に初代内閣総理大臣となる伊藤博文を含む、長州藩士5人などもいました。
実はその隠れ部屋は、幕府の目を逃れて密航しようとした若い幕末の志士たちをかくまうためのものだったとされています。
[surfing_su_box_ex title="佐幕"]幕府を補佐・助けること。江戸末期の中心的な佐幕派として、会津藩、南部藩、仙台藩などがある。(⇔倒幕)[/surfing_su_box_ex]
[surfing_su_box_ex title="政商"]政府や政治家、官僚らと結びつて商いをする商人のこと。御用商人とも呼ばれる。[/surfing_su_box_ex]