なぜ夏目漱石は博士号を嫌がったの?

大学の研究室で博士の学位を取得した大学院生が、担当教授などに「謝礼」を払っていたいう話は珍しくありません。

場合によっては教授のほうから「博士号を取りたかったら何万円かを持ってきなさい」と請求することもあったそうです。

 

学生にとっては、自分が博士号を取れるかどうか、准教授や教授に出世できるかどうかは、いまなお最大の関心事だそうです。

 

文豪夏目漱石は、いまから100年以上も前にこうした日本の大学の風潮を忌み嫌っていたことを思わせる逸話があります。

有名な漱石の「博士号自体問題」(1911年)のことです。

 

1987年生まれの漱石が44歳で胃潰瘍のため入院していたところへ突然、文部省から「文学博士」を授与するという通知が届きます。

博士号辞退を申し入れたところへ、「明日午前10時に授与するから文部省に出頭しろ」との内容です。

この文部省の高圧的な態度に漱石は相当頭にきたようです。

ただちに漱石は博士号を拒絶します。

 

「ただの夏目何某で世渡りをしたいので、学位はいただきたくない」

 

文部省は再度「すでに発令済みなんだから、受け取ってもらわなければ困る」という意味の文章を送りつけてきました。

漱石は再び返事をしたため返送します。

 

「お受けする義務を有せざる事」

「今の博士制度は功少なく弊多きことを信ずるひとりなること」

 

明言したが、お役所は引き下がりません。

 

「受領すると否とにかかわらず、貴下は文学博士の学位を有せらるる者と認む」

 

証書は返送を恐れてか、文部省が保管することになったという。

 

さて、漱石がこの一件の数年前に著わした小説「坊ちゃん」には、赤シャツという人物が登場します。

いつも赤い表紙の帝国大学という書をかかえて、琥珀のパイプをプカプカしながら、金鎖を胸につけているという、イヤ味たっぷりの人物です。

 

おそらく漱石は、東京帝国大学(現東京大学)という世界の空気が大嫌いで、それを告発したかったのだろう。

漱石に博士号を授けようとした役所の面々は「坊ちゃん」を読んでいなかったか、この小説の意味をまったく理解していなかったのだろうとしか思えません。

 

[surfing_su_box_ex title="夏目漱石"]

(1867~1916年)明治から大正期にかけて活躍した日本の小説家、評論家、英文学者。

本名は夏目金之助(なつめ・きんのすけ)。

主な作品に「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「虞美人草」「三四郎」「こころ」「明暗」など。

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