プラトニック・ラブの本当の意味とは?
私たちは、心と心だけの精神的な恋愛(純愛)のことを「プラトニック・ラブ」と呼んでいます。
恋人を欲望の対象としてではなく、理想化し、精神的な結びつきの対象として求めることは、もちろん大人になってもありますが、特に、まだ完全に成長しきっていない、思春期から青年期の初期に多く見られます。
この体験から若者は、相手を愛することや敬うこと、理解すること、思いやること、喜び、優しさなど、人間としてより豊かに成長していくのに必要なあらゆることを学ぶわけです。
いや、それだけでなく、若すぎる恋はだいたいが失恋の運命にあるため、挫折や悲しみも学びます。
とにかく、精神的な成長にとっては必要不可欠な、非常に大切な経験であるわけです。
ところで、このプラトニック・ラブという呼び方が、古代ギリシャの大哲学者プラトンに由来したものであることをご存じでしょうか。
「恋愛は肉欲ではなく精神的な結合を大切にすべきだ」と語っていたことから、プラトン的な、という意味で、純愛をこう呼ぶようになったといいます。
ところがプラトンの著作にはそうは書かれていないのです。
それなのに、なぜこの言葉が生まれたのでしょうか。
純愛は人を哲学者にする、哲学といえばプラトンだ、ということで単純にそう呼ばれるようになったともいわれています。
しかし、そうではなく、プラトンは同性愛について語ったのに、いつの間にかそれが男女の恋愛についてのものだと間違われてしまった、というのが、どうも真相のようです。
というのは、プラトンの著書「饗宴」で同性愛について語った部分に「両者の魂が何か(愛欲とは)別のものをもとめていることは明瞭である」(久保勉訳)と、プラトニック・ラブに相通ずる表現があるからです。