土俵の中には神様がいる?

相撲の起源は、建御雷命(たけみかづちのかみ)という神様が、国譲りを巡って大国主神(おおくにぬしのかみ)の息子である建御名方神(たけみなかたのかみ)という神様と力比べをして、これを一捻りにしたとの神話に基づくものです。

古来より、相撲は神事として行われてきたし、いまも競技場である土俵には、建御雷神が祭られています。

力士が土俵に上がってパンッと両手のひらを打ち合わせるのは、神様に対して柏手を打っているのです。

また、四股は悪鬼を払う地鎮のために行われるものです。

 

大昔に行われた相撲では、土俵というものがありませんでした。

鎌倉時代に見物人が競技場として直径7~9メートル(四~五間)の輪を作ったのが、土俵の起源とされます。

江戸時代初期の寛文年間(1661~1673年)に大相撲興業が始まった頃の土俵は、4本の柱の下に紐などで囲った四角い形でした。

 

しかしそれは長く続かず、延宝年間(1673~1681年)になると、東屋づくりの屋根の下に四神をあらわす4色の布を巻いた柱を置き、その中央に3.94メートル(13尺)の丸い土俵が設けられるようになります。

現在のサイズ4.55メートル(15尺)の土俵になったのは、1931年(昭和6)4月の天覧相撲があった場所からです。

 

各場所の初日の前日には、日本相撲協会の幹部、審判委員の親方などを集めて土俵祭りが行われます。

土俵祭りとは、立行司が祭主となり、建御雷神他二神の相撲神と幣束七本を祭り、場所中の安全と興業の成功、国家の安泰、五穀豊穣を祈念します。

 

土俵祭りでは、土俵中央の仕切り板の間に穴を掘り、そこに相撲の神へのお供えものとなるスルメ、昆布、勝栗、榧の実、塩、洗米などの縁起物を入れ、酒を振りかけて埋めます。

 

また、千秋楽には来場所から番付に載る「新序出世力士」らによって御幣を持った行司を胴上げして、神様を天に帰す「神送りの儀式」が執り行われます。

これによって、場所中、土俵にお迎えしていた神様に、元の場所にお帰りいただくのです。

 

ちなみに、この胴上げのあと、土俵祭りで土俵に埋めていたお供え物は掘り起こされることになっています。

[surfing_su_box_ex title="四神"]東西南北に分かれて、それぞれ次のような神様を祭っている。起源は中国の四神信仰に由来するともいわれる。 東(東北隅):青竜神(青い竜) 南(東南隅):朱雀神(赤い鳥) 西(西南隅):白虎神(白い虎) 北(西北隅):玄武神(黒い亀)[/surfing_su_box_ex]

[surfing_su_box_ex title="相撲神"]戸隠大神(あめのたぢからを)、建御雷神(たけみかづちのかみ)、野見宿禰(のみのすくね)の三神のこと(諸説あり)。[/surfing_su_box_ex]

トップページへ

【スポーツの雑学】一覧へ

行司の掛け声「はっけよい、残った、残った」の意味。