サンショウウオをヨーロッパに持ち出した意外な人物

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中国地方の山奥や三重県赤目地方の清流に棲息しているオオサンショウウオは、昔は日本全国に広く分布していたと考えられています。

それは、その別名が「ハンザキ」であることから推測できると研究者は言います。

どういうことかというと、ハンザキとは ” 半裂きにしても生きていけるほど生命力が強い ” ことからそう呼ばれたそうです。

昔はあちこちで半裂きにするほど、オオサンショウウオがたくさんいたことを意味しているというわけです。

このオオサンショウウオを、博物学に興味を持っていたドイツ人医師・シーボルト1830年にヨーロッパに持ち帰ったところ、一大センセーションを起こしたことは、日本ではあまり知られていません。

江戸幕府は、江戸の地図を持ち出すことには神経をとがらせてしましたが、当時はどこにでもいたこの動物を持ち出すことには何も言わなかったのでしょう。

何しろオオサンショウウオは、黒褐色で全身にイボがあって、見るからに不気味。

タコを「悪魔」と呼ぶヨーロッパ人の目には、極めて異様なものに映ったことでしょう。

このオオサンショウウオは記録によると、シーボルトが亡くなった後も、1851年まで約50年間も生きていたそうです。