大豆を世界に広めたのは日本!
大豆のことを「畑の肉」とも言いますが、こう名付けたのは19世紀のドイツの学者たちでした。
これには面白いエピソードがあります。
時は1873年、明治6年のこと。
この年、ウィーンで万国博覧会が開催されました。
ヨーロッパでは開国以来の日本ブームが続いていて、それを反映してか、博覧会側から出展を強く要請されたのです。
日本がはじめて万国博に出展参加したのは1867年のパリ博でしたが、そのときにほとんど目ぼしいものを出してしまっていたこともあり、政府は最初断ったそうです。
しかし、相手は「ヨーロッパにないものなら何でもいいから出展してくれ」と執拗に食い下がってきます。
そこでやむなく参加することになったのですが、何と、その出展品の中の大豆と寒天が含まれていたのです。
なぜこ2つが選ばれたのか、どんなふうに展示されたのかはわかりませんが、とにかくこれが大好評でした。
特に大豆の評判は抜群で、フランス人などは「真珠のような豆」と、手放しで称賛したそうです。
ドイツ人のほうは、さすがに実証主義のお国柄。
手放しで褒めることなどということはせず、大豆の栄養組成を徹底的に分析。
そのうえでおもむろに「この豆の栄養価は牛肉や豚肉に匹敵する、いわば畑の肉とも言うべきものだ。」と公表。
つまり、畑の肉とは、ドイツの学者たちの「おスミつき」だったというわけです。
その後、ドイツは大豆による食糧革命を図り、日本から大量に取り寄せて栽培実験を行ったのですが、残念なことに、ヨーロッパの土壌には大豆栽培に不可欠な根粒菌がないことが分かって断念したという後日談があります。
現在、大豆はアメリカやカナダが主要生産国とされていますが、これも、そのときのドイツの評価を知り、第二次世界大戦中にアメリカが栽培を試みたのが始まりといわれています。