なぜトイレを「かわや」と呼ぶの?
昭和の初期まで、トイレのことを「かわや」と呼んでいました。
語源はズバリ「川屋」
つまり、昔は川の上にトイレが作られていて、そのまま汚物を川に流していたというわけです。
日本の人口は縄文時代晩期で約76,000人、弥生時代は約600,000人、古墳時代は約5,400,000人だったと推定されていますが、このくらいの人数では川の汚染問題もでなかったと思います。
その後、川に流していたし尿を溜め込むようになるのですが、これは衛生上の理由からではなく、何とリサイクルが目的です。
5、6世紀に中国大陸からし尿を元に肥料にする方法が伝わってきたからです。
し尿を肥料に。
当時、朝鮮半島に政治不安があって、半島の技術者が大勢日本に渡ってきました。
そのため、急速に人口が増えたのですが、下肥(し尿からつくった肥料)の技術者もこの中にいたのでしょう。
それ以降、家畜や人の排泄物が田畑に還元されるシステムは、昭和30年代まで続いたのです。